小林 圭二(元京都大学原子炉実験所講師)
今までのお話ですと、原子力発電あるいはプルサーマルのいいとこ取りだけされたような話が続いてまいりました。冒頭のご挨拶で知事さんは最大の条件が安全性だという話をされましたし、それからコーディネーターの方は今日のテーマが必要性と安全性だという話をされましたけれども、私はもっと大事な問題があり、それも含めてお話ししたいと思います。
私はプルサーマルで何が問題になるかというと3つあると考えております。
まず1は、そもそもプルサーマルをやることは国際的な道義に反するということであります。これが非常に大事です。それから必要性の問題。それから安全性の問題。この3つです。
まず国際的な道義の問題ですが、プルトニウムというのは元々地球上にはない物質でして、これが何故人間の手で作られたかというと、とりも直さず原子爆弾を作ることが目的だったわけです。作られた原子爆弾の1つが長崎に落とされ約10万人が殺されたという悲劇をもたらしました。この核兵器を求めて、戦後開発競争が各国で行われました。その結果、米、英、ソ、仏、中と5か国が核兵器を持ちました。ところがこれ以上核兵器を持つ国が増えますと、今度は自分達が危ないということから、5か国は1968年にこれ以上核兵器を持つ国を増やさないために核不拡散条約を結び、まだ持っていない国に対しては核兵器を作らないことを約束させ、その上で、もしそれを守るならば、いわゆる原子力の平和利用、原発の利用に関する技術とか物資を提供するという約束をしたわけです。
ところがこの平和利用から、皮肉にも核兵器拡散が起こるという事態が起こってしまいました。1974年にインドが平和利用目的だと称して核実験をやったというのをきっかけにしまして、平和利用といえども核拡散に繋がるということを強く世界が認識しまして、IAEA(国際原子力機関)による核査察が厳しくなったという背景があります。これを契機に核兵器の拡散が闇の中で盛んに行われてきました。今日新聞を見ますと、そういった動きが毎日のように新聞紙上を賑わしているわけですね。この画面には核拡散の現状あるいはそれに対する動きというものをいろいろ載せました。パキスタンの核開発の中心にいたカーン博士が核の闇市場を作って拡散に手を貸しておったことが明らかになりましたし、それから現在では北朝鮮、イランの問題が国際的な話題になっております。
こうした状況で世界は今、核兵器の拡散という問題に非常に神経質になっており、核疑惑で国際的な緊張関係が高まっているわけです。核拡散問題が一つの大きな原因になって、それまで幾つかの国がプルトニウム利用していたものを次から次へとやめていきました。この画面がやめていった例です。プルトニウム利用には高速増殖炉とプルサーマルとがありますけれども、高速増殖炉に関しては、アメリカは1983年、もう20年以上前にやめましたし、イギリスもやめました。ドイツもやめ、フランスは高速炉が1つだけ動いていますけれども、これも2009年で止めて、そこで終わりということを決めております。フランスは1992年に撤退を決めまして、動いている高速炉というのはあくまでも廃棄物の処理のため、その研究のためとして動いているわけです。プルサーマルも同様で、各国はこのように次々に撤退しております。最近、新しく再開する動きがあると言われましたけれども、これについてはこの話とは全く別次元の話ですので、後から議論のところで申し上げたいと思います。
それから2番目の必要性に関しましては、私は全く疑問に思っております。プルサーマルはウランの資源の有効利用であるということが盛んに言われていますが、全く有効利用にはならない、節約にはならないということ。それから余剰プルトニウムを焼却するために必要だと言っていますが、その一方で六ヶ所の再処理工場を稼働させて、年々8トンものプルトニウムを作るという矛盾したことをやっておりますし、これも全然説得力がない。
それから高レベル放射線廃棄物の低減のためにということは、これはプルサーマルとは直接関係のない話です。
資源の有効利用の問題に関しては後で申し上げますが、プルトニウムをプルサーマルでやるやり方は、基本的にはこの画面のような方針で行われようとしています。つまり今の炉の構造を変えないまま、MOX燃料という、プルトニウム燃料を炉に入れて使う。しかもその入れ方は炉の全体に万遍なく入れるのでしたらまだましなのですが、そうじゃなくて、ある所だけ入れてある所は入れないという、さっき工藤先生が図で示されたようなああいう入れ方です。さらにプルトニウムを入れるからには、出来るだけ含有率を高くし、ギュウギュウ詰めに入れようという方針。それから多少のウランとプルトニウムとの性質の違いはこの際許容する。それから試験過程を省いて、最初から商業利用としてスタートする。これについては具体的な話をまた後からしたいと思います。
安全問題というのは、プルサーマルの場合どのような問題として考えるべきかというのはこういうことだと思います。今まで普通の原子炉が持っていた安全余裕が削られるわけです。その削られた分を何とか工夫して補おうという発想ですが、果してこれが可能かどうかという問題と、そもそもこの安全余裕自身が元々ある特定の事故を想定しまして、それに対して決めるわけですけれども、事故想定自体が本当に妥当なのかという基本的な問題があります。プルサーマルはこの安全余裕が確実に削られる問題だということを申し上げたいと思います。
それから更に強調しておきたいことは、最初はプルサーマルの条件をかなり緩い条件で受け入れやすいように始めるわけですけれども、受け入れてしまいますと、この条件というのはどんどん緩められてより危険な方向に行くことは今からはっきり分かっております。そういう危険が将来待ち受けているんだということを認識していただきたいと思います。
最後に、ちょっと説明を省きましたけれども、何故伊方でプルサーマルをやるのかという疑問ですが、これは国の原子力政策の破綻を原発立地にしわ寄せする。その破綻を覆い隠して、危険性の増加という形で立地にしわ寄せするそういうものであると私は考えております。ですから愛媛県としてはそういう国の破綻の泥をわざわざ被る必要は全然ないということを結論として申し上げておきたいと思います。以上です。
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