舘野 淳(中央大学商学部教授)
ご紹介いただきました舘野です。10年程前までは日本原子力研究所にいまして原子力の研究に携わっていました。その中で私は化学の分野でしたので、私自身は扱ったことはありませんけれども、隣の研究室や何かでプルトニウムを使っている人達がいまして、非常に危険な物質だということはその時の経験で身に沁みて感じているわけです。ですから今日はその経験をもとにしましてお話をしたいというふうに思います。
レジュメに沿ってお話をしたいと思います。レジュメの冒頭には「愛媛県民の皆様へ」と書いたんですけれども、レジュメとしては多少変な書き方ですけれども、実はそこで是非皆さんにご判断いただきたいというふうに思っているんです。愛媛県というのは伊方発電所で非常に多くの電気を供給しているわけです。それは如何に小さいとはいえ事故のリスクも負って供給しているわけで、そういう意味ではエネルギー政策の観点から言えば日本国民は感謝してしかるべきだというふうに思うわけです。
ただし残念ながら必ずしもそうなっていないんですね。愛媛産のミカンか何かを食べる時は「愛媛みかん」なんて書いてありますので、みんなこれは愛媛県で出来たんだな、なんて思うわけですけれども、電気に関しては関西電力や何かに多分供給されていると思うんですけれども、大阪の人なんかは一瞬たりともこの電気が愛媛県から送られてきたなんて思わないわけですねそういうふうに産地と消費地の断絶と言いますか、そこら辺は非常に大きな問題があるというふうに考えています。
さて、そういうふうにして非常に貢献されている中で、さらに国の政策だからということでプルサーマルを受け入れなきゃいけないんじゃないかと思っている方もいらっしゃるかもしれませんけれども、私は国の政策というものに非常に疑問を持っているんですね。お国の為にということはあるかもしれませんけれども、実は私は、これはお国の為には全然なってないお国の為ということで言えば、後ろにいらっしゃるお役人の方達が推進されているということから言えばお国の為かもしれませんけれども、何も判断するのはお役人だけではなくて、学者の中でもここにおりますように意見が分かれているわけですね。そういう意味から言って、プルサーマルは国のエネルギー政策には役立たない。百害あって一利なしとまで言うと少し怒られるかもしれませんけれども、大体そういうふうに考えていただいていいんじゃないか。もしエネルギー問題の解決に役立たないんだったらやめればいいのであって、何も安全性まで検討する必要はない。これが私の基本的な立場です。だから必要性の検討こそが基本であるというふうに考えるわけですね。
プルトニウムの利用というのは、本来は資源量を数十倍に増やすということから元々出てきているわけですね。高速増殖炉というのを使ってそういうふうにする。私が原子力研究所に入ったのは昭和34年ですから、もう何十年か前ですけれども、その頃の考え方というのは、そもそも高速増殖炉でやろうという考え方なわけです。それがいつの間にかプルサーマルなんていうのが出てきまして、それが今主流になっているようですけれども、これは非常におかしなねじれ現象と言いますか大変おかしいというふうに思います。資源量を十数倍に増やすことが出来るということであって、例えばウランの可採年数は60年と言っていますけれども、それが数十倍に増えるとすると、例えば4000年というふうになれば、これは資源的に言っても大きなメリットがあるわけですけれども、このプルサーマルですとせいぜい10年か20年増やすだけですから、これは大したことじゃないわけですね大メリットがあって初めていろんなリスクを抱えているプルトニウム利用が安全確保の前提のもとに許される。
高速増殖炉と言いますと非常に嫌悪感を受けられる方がいらっしゃるかもしれませんけれども、何も技術は固定的に考えることはないんで、あの「もんじゅ」で事故を起こした高速炉だけじゃなくていろんなコンセプトがあるわけですね。安全性を考えた高速炉もあるわけで、それはそういうことであれば、また技術の進展に従って考えていけばいいわけですけれども、少なくとも今の軽水炉でプルトニウムを燃やすなんていうのは、私にとっては本当に愚かな利用法だというふうに考えております。
ちょっとスライドを出してください。ここにありますのは燃料棒なんですけれども、原子炉の中の燃料棒です。これは先程工藤先生のお話の中にもありましたように、何重にも放射性物質は防護されて外に出ないようになっているというお話がありましたけれども、それの最後の砦の壁なわけですよね。この燃料棒の中には非常に高レベルの放射能も入っていますし、それからプルトニウムも入っているわけです。これをちょん切りますと、実は再処理工場で切るわけですね。プルサーマルをやるためには再処理工場で再処理をする。そうするとこれを切らなければならないわけです。切ると中の放射性物質が全部表へ出てくるわけです。二重、三重、五重に防護されていると言われているんですけれども、これをちょん切ってしまうわけですね。これは、言い方は悪いかもしれませんけれども、パンドラの箱を開けたようなものであって、私は必ずしも絶対開けてはいけないとは言いませんけれども、開けるんだとしたら本当に安全性が確保され、かつ必要性が皆さん心の底に落ちつくような恰好で、ストンと落ちるような恰好で安全性が確認されて、初めて開けるということを考えていくべきじゃないかそう生半可な考えでこれを開けて、さらにプルトニウムを使ってどんどんいろんなことをやっていくということは非常に問題であるというふうに考えております。
私が言いたいことはこのレジュメに書いてあるので、順番に説明していきまして、足りないところはまた後程説明させていただきたいと思います。
国の核燃料政策も最初は高速増殖炉を使うと言っていたわけですね。ところが「もんじゅ」の事故でこれがすっかり狂ってしまったわけで、そこでもう一遍プルトニウムを使うことはどうだろうということを国民に相談すべきであったというふうに考えます。それをずるずると修正をしないまま、あるいは見通しの甘さに関しては頬っかぶりをしたまま、とにかく何とかしてプルトニウムを使ってくれということで、この伊方にもそういうことが押しつけられてきているというふうに考えます。
過渡的に燃やすということであれば、万一の事故の対応能力のある東電とか関西電力が行うべきであって、これをいろいろ事故隠しや何かがあったので四国電力にやらせる、あるいは九電にやらせるというのは非常に政治的なやり方である。技術的にきちんと判断していないと私はそういうふうに思っています。
それから後は、具体的にプルサーマルは不必要である。日本のエネルギー政策上必要ないということを言いたいわけですけれども、1つは資源の有効活用。これは先程も話しましたし、他の方からも話がありましたけれども、ほんの僅かしかメリットはない。
それからプルトニウムを溜め込まないことということですけれども、これも非常におかしな話で、青森県に行っては、プルトニウムが必要だから再処理工場を動かしてくれと頼んで、愛媛に来ては、プルトニウムが余って困っているから軽水炉で燃やしてくれと。これは余りにも酷いんじゃないかと私は思っております。それからプルトニウムが余って困るんでしたら、再処理工場を動かさなければいいということですね。
時間が来たようなので、後の不必要性に関しましてはまた次の機会にお話をしたいと思います。以上です。
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